2022.09.15
Cotton plant(綿/コットン)
学 名:Gossypium spp
英 名:Cotton plant
植 物:アオイ科ワタ属の一年または多年草。果実が成熟して割けると種子を包んだ綿のかたまりが現れる。
通常は風媒によって自家受精が行われるが、昆虫によって交雑することもある。
属名は、ワタのラテン名gossypionまたはgossympinus、またアラビアで「柔らかいもの」を意味するgozに由来するなど諸説。
英語のcottonはアラビア語のqutumあるいはkutumに由来する。
利 用:繊維植物や地毛としての利用のほか、綿実は精製して食用油及び石鹸、蠟燭の原料とする。
アレルギー性があるので身体塗布には向かないが、安価なので、クリーム、ベビークリーム、除光液、潤滑油の製造に広く利用されている。
綿実油かすはタンパク質に富み家畜の飼料あるいは肥料となる。
茎の靭皮は精製原料、パルプ原料となる。
分 類:大きく区分すると4つに分けられる。
・G.herbaceum/英名:levant cotton/和名:インドワタ/俗名:シロバナ綿/小アジア・インドに分布。アジア綿と呼ばれ、アラビア半島ではインドに次いで古くからよく栽培が行われ、ギリシアへは紀元前4世紀アレキサンダー大王の遠征によって知られた。アラブ人によって9世紀にはシリアへ、10世紀にはスペインに伝播した。
・G.arboreum/英名:tree cotton/和名:ワタ/俗名:キダチ綿、インド綿、アジア綿、和綿/インド及び熱帯アジア原産で、アジア綿と呼ばれ、中国北部、朝鮮半島、日本などで栽培されていた。G.herbaceumの野生型がサバンナ地帯に自生し、最初にアラビア半島やシリア地域に伝播されて栽培型が成立したと考えられる。さらにインドへの伝播により栽培が盛んとなり、栽培型のG.herbaceumからG.arboreumが起源された。古代インドのモヘンジョ・ダロの遺跡から銀の花瓶の頸部に巻かれていた綿の織物(紀元前2500年)が出土している。インド最古の文献リグ・ヴィェダ(紀元前1300〜1000)にも記載がある。中国には10世紀以降インドから導入され、日本には永禄・天正(1558〜92)ころ中国から種子が入り、経済的栽培が始まった。それ以前の799年(延暦18)に三河国に漂流したインド人により、また1542(天文10)年にポルトガル人により導入されたが栽培に成功しなかった。インドなど多湿の低緯度の南方地域では現在でも栽培されている。
・G.barbadense/英名:sea island cotton,tree cotton/和名:ペルーワタ/俗名:海島綿、シーアイランド綿、エジプト綿/熱帯アメリカ原産。ペルーの北部海岸のワカ・プリエッタの遺跡から蝶模様の織物のレース(紀元前2500年)が出土していること、ペルー海岸の初期の農耕の発達過程は紀元前2500年を境として綿以前と綿以降に分けていることから、ペルー綿はインドと同じく紀元前2500年ころ栽培化されたと推定されている。
・G.hirsutum/英名:upland cotton/和名:ケブカワタ/俗名:陸地綿、アップランド綿、アメリカ綿/中央アメリカ原産。メキシコのコスカトラン期(紀元前5800)の洞窟からこの種の栽培種の蒴果が出土し、メキシコにおいて綿の栽培化はペルーよりも早かったと推定されている。アメリカへは1704年に初めてバージニアに入り栽培が発達した。
ワタ属の中心はアフリカで、大陸に陸続きの年代にアフリカから各地に伝播し、4媒体種(G barbadens、G.hirsutume)の起源である2媒体種(G.arboreum、G.herbaceum)も現在の南アメリカまで分布していた。現在では、2媒体種に比べて毛が長く利用しやすい新大陸起源の4媒体種が世界で広く栽培されている。G.hirsutumの毛はG.barbadenseよりやや短いが温帯か寒地に適応性があるため、北アメリカ、ロシア、中国北部、中国北東部が大生産地域となった。G.barbadenseは乾燥に適応性を持つため、西インド諸島まで伝播しおり、西インド諸島から西アフリカに導入されスーダンやエジプトにおいて大生産地帯を確立している。
(画像はワタの花 /悦覟先生ブログ「バラとハーブと緑の空気」http://rosagallica.blog.fc2.com/blog-entry-134.html より)